いま持っているものに感謝する

昨日は午後からずっと打ち合わせが続いた。

前半は関西のクライアントと今後の販売計画について2時間ほど話をする。

これまで売れていた商品が売れなくなり、営業目標を達成するために商材を切り替え、競合の少ない分野で売上を上げていく方向で話がまとまった。

候補の商材をお互いMaBook AirでeBay、Amazon.comで競合価格を調べながら、下代を計算して勝てる商品かどうかを見極めていくという作業を黙々と行う。

こうして実際に会って話をすることで、売上が回復するメドが立ってきたように感じるから不思議だ。心の中にあった漬物石くらいの重さが、片手でなんとか持ち上げられそうな重さにまで軽くなったような気がする。

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夕方からの2時間は、5年ほどの付き合いのある友人と数ヶ月ぶりに会って話をした。

実はいま、私は自分の今後の仕事について何を目指していけばいいのか非常に迷っている。

人生の最終目的・目標はすでに決まっているのだけれど、それを開始するのは10年ほど先であり、いまはそれとは全く関係のない仕事をしている。

そこで、同じ年代の人の話を聞くことで何かきっかけが得られないかと、きのう話をした次第だ。同じ40代半ばの同じ男子が、一体どんな将来を見据えていまを生きているのか、とても興味がある。

ナイスガイのその彼は、長年続けている自分メディアに行き詰まりを感じているようで、私自身も同じように海外向けのメディアを持っており、彼の話は自分の経験とも重なって共感できるものだった。

自分もそうだが、何年続けてもパッとしないことがひどくもどかしく感じられ、つい「仲間がいない」、「資金がない」など、無いものに執着しがちである。

が、よく考えてみると、それでも長く寄り添ってくれた仲間が全くいなかったわけではなく、ともかく続けてこられたのはこうした身近にいる人のサポートがあったからこそ、と気づく。

だから、遠くの何かを探すより、まず近くの人を大事にしなければ、という話をお互いにした。

そしてまた、似た者同士(?)、今後協力関係を結んで一緒に何かしていこうという話も出たけれど、半端者同士がくっ付いても相乗効果は得られないだろうし、似通っているからこそコラボしない方がイイのでは?ということに結局なった。


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この日の二つの打ち合わせで、霧がかかっていた道がうっすらと見えるようになった気がした。

何か迷っているのなら、頭で考えるだけではなく、こうして信頼できる人と会って話をするということは大事だなとあらためて感じる。自分はほとんど人に意見を求めない方なので、「相談」という行為は新鮮だ。

無いものを得ようとするのではなく、いま自分が持っているものに感謝し、それまでの行動を変えることで新しい展開が見えてくるんだなと、そう痛感したある土曜日の午後だった。